陛下から外交重視と仰せられた為、英米派は所謂開戦派よりの妨害を受けることもなく、日米交渉を進められると喜んだ。
近衛首相は帝国国策遂行要綱の別紙として定められた対米交渉における日本の最小限度の要求事項をひっさげて、御前会議の開かれたその日に、グルー米駐日大使と会見を行い、日米の誤解を解消したい、現内閣一致して交渉成立を希望しているので速やかに首脳会談を行う必要があると述べ、グルー大使は近衛の熱意に動かされ、「この報告は自分が外交官生活を始めて以来、最も重要な電報になるであろう」と述べ、直接大統領へこの会談内容を報告すると約束した。
その電報の要旨は以下の通り。
1) 日本は真剣に日米首脳会談の実現に努力している。 2) 対日経済圧迫より、建設的な宥和政策の方が米国にとって賢明な選択であり、この機会を逃したら戦争の公算は増加するであろう。 3) 米国が予備会談にこだわれば会談は遅々として進まず、日本側は米国は蔓延を策していると結論し、近衛内閣瓦解、軍部独裁政権が生まれるであろう。 4) 日本は三国同盟を死文化する用意があることを示している。 5) 日本側の真摯さと誠意に米国が合理的な量の信頼を寄せないのなら戦争回避への方向転換は日本に起こらぬであろう。英知と政治的手腕で日米関係改善と戦争回避は可能であり、それは今やるか、さもなければ永久にできないことなのである。
しかし、米政府からは一向に返答が来なかった。
近衛は何度もグルー大使に督促をしたが、当のグルー大使にしても本国がなぜ回答を遷延しているのかわからぬ状態であった。
その理由は米政府内は完全に対日戦に傾いていたからである。
ハル長官は「グルーは我々のようにワシントンにあって世界情勢を判断できる位置にいるわけではないと」一蹴し、スチムソン陸軍長官に至ってはフィリピンの再武装が完了するまでの三ヶ月間、日本との衝突を避けて交渉を引き延ばすべきであることまで述べている。
ハル長官の回想録には
「その頃になると、自分は日米交渉が成就する見込みはほとんどないと思っていた。自分の主たる任務はアメリカの太平洋正面に対する軍備が整うまで対日戦突入を引き延ばすことであった」
と述懐しているのである。
米国よりの返答が一向に見られぬことで、9月25日の連絡会議では対米開戦の決意は10月15日を目途とするべきと統帥部からの意見が出されるに至った。
会議後近衛は東條に両総長に要望を変更できぬかと詰め寄ったが、東條は「あれは国策要綱に即した発言であるから無理である」と答え、どうにも交渉の見込みがつかない近衛は翌日木戸内府を訪れ辞任したいと打ち明けた。
これに対し木戸は
「9月6日の御前会議決定を成立させたのは貴下ではないか。それをそのままにして辞めるというのは無責任だ」
と糾弾した。その後鎌倉の別邸に引きこもってしまった近衛であるが、10月1日に及川海相から海軍としては避戦であり、首相がそのつもりなら協力すると聞いて、政務に復帰した。しかしその前途は絶望的であった。