7−3.首脳会談実現ならず、米国の真意は開戦にあり

疑念は遂に現実のものとなった。
9月3日にルーズベルト大統領は近衛メッセージに対する回答と、米国政府の覚書が野村大使に手交された。
この覚書にて
首脳会談の前に予備会談を設けるべきと主張してきたのである。
しかも再びハル四原則を持ち出し米政府としてはこの四原則を基本として日米双方の意見調整を行う他、太平洋の平和が達成できないと記されており、まさしくハル長官の思惑通りのものであった。

米国政府内はハル長官の対日不信、強硬外交路線に染まっていたのである。
当然米国側は我が国が事前準備を順次整えつつあり、会談を真剣に行う意思があったことを知りながら、これを事実上拒絶したことは米国が明らかに日米交渉に見切りを付けたという証拠に他ならないのである。
当初歓迎の意を示していたルーズベルトであるが、既に大西洋憲章を発表し、英チャーチル首相からも盛んに参戦要請を受けており、ルーズベルトとしても開戦の決意をしていたのであろう。
しかしながら国内世論もあり、そう簡単には参戦に踏み切れず、ルーズベルトにとっての課題は如何にして参戦の大義名分を得るかにあった。ルーズベルトの構想であった日米戦を契機に参戦するという方針、所謂太平洋からの裏口参戦を積極的に展開していく時機だと捉えたのであろう。


さらに最近になってルーズベルト側近で海軍情報部極東課長であったアーサー・マッカラム大佐が昭和15年10月7日に提出した「対日開戦促進計画」なる文書が公開され、日米交渉史における米国の戦略を象徴的に物語っている。その内容としては日本が明白な行動に出ることを期待するためには次のような対日姿勢をとるべきであると述べられている。

  A:イギリスと協力関係を結び太平洋、特にシンガポールの英軍基地の利用許可を得ること。
  B:オランダと協力関係を結び、オランダ領東インドの基地及び物資の利用許可を得る。
  C:中国の蒋介石政権に可能な限りの援助を行う。
 D:遠距離航行能力を有する重巡洋艦一個戦隊を極東、フィリピンまたはシンガポールのいずれかに派遣する。
  E:潜水戦隊二隊を極東に派遣する。
  F:現在、太平洋、ハワイ諸島に配置している米艦隊主力を維持すること。
 G:日本の不当な経済的要求、特に石油に対する要求をオランダが拒絶するように、オランダを説得すること。
 H:英国が押しつけると同様の通商禁止と協力して、アメリカも日本に対する全面的な禁輸、通商禁止を行う。

見ての通り、今まで述べた史実に副っているのがわかる。
なお、この文書をルーズベルトが実際に読んだという証拠がないという反論もあるが、実際にこの計画通り米国の外交は進められており、まったく無関係であるとは言えないと考えられる。
これからすれば既に米国は昭和15年の時点で戦争を望んでいたということになり、米国は最初から交渉を真面目に行うつもりはなかったと言えるのである。


さて、近衛首相は事実上の拒否通知とも言えるこの覚書に落胆を隠せず、陸海軍としてもこれで外交戦は終わったという認識が広まっていった。この後、政府連絡会議にて開戦決意も含めた「帝国国策遂行要綱」が検討される運びとなる。

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