南部仏印進駐により、日米関係は破局への道を進みつつあった時、近衛首相は、日米の首脳会談をもって懸案の一挙解決に望む決心をした。
近衛がかかる決心をした理由として、彼は当時日本の政治に大きな影響力を持っていた軍部を抑えつつ、また反米熱に燃える国民をも納得させながらこの交渉をまとめるには、天皇の力を借りて一気に頂上にて解決をするしかないと考えたのである。
内閣書記官長の富田が近衛に首脳会談を提言した時、
「陛下より全権を委任されて、アメリカで全てを大統領と直談判で定めてくる以外、途は残されていませんね」
と答えた。
これは天皇の持つ、統治権、統帥権を近衛一人に委任してもらい、天皇が認めているという後ろ盾をもとに、首脳会談で日本の真意を率直に伝えつつ懸案の解決を図り、それを天皇の名の下にそれを実行に移せば軍部も反対は出来まいと考えたのである。
外務大臣の豊田も
「行けば必ずやり遂げるつもりで、撤兵の件も何も出先で決めて御裁可を仰ぐ覚悟であった」
と述懐している。まず近衛は陸海の閣僚に了解を求め、東條陸相からは
・基本的に反対
・大統領が我が国の真意を解しなかった場合には対米戦の決意をもって行うこと。
・失敗に終わっても内閣を投げ出さないこと。
の条件付きで了解を得た上で、陛下に奏上し、近衛の決意を悟った陛下からも速やかに会談を実現させるようとの御言葉を賜り、8月8日に野村大使を通じ首脳会談の提案をハル長官に伝えたのである。
さて、このときルーズベルトは折しも英国と大西洋会談(*1)を行っている最中で不在であった為、ハル長官に対し申し入れが行われたのであるが、ハルは
「日本の政策に変更のない限り、これを大統領に取り次ぐ自信がない」
と曖昧な回答をした。
既にハルは対日不信或いは対日戦を決意していた為冷淡な対応をとったのだろうか。
ハルとしては既に外務省を通して行う外交ならば暗号解読により完全に米国が掌握出来て常に優位に立てるが、直接会談で片づけられると米国にとっても少なからぬ損失を与える結果となるのではないかと危機感を持ったのと考えられる。
それでもハル長官はとりあえず大統領へ伝達してはくれ、大統領帰国後、自ら野村大使に2通の文書を渡した。
一つは「戦争警告」書と、もう一つは原則首脳会談に応じるというものであった。
特に野村大使との会談は終始円満で、ホノルルに行くことは無理だが、アラスカのジュノーあたりではどうかと好意的な返答を得られた。この野村の報告を受けて早速日本側は首脳会談の準備に取りかかった。
まず豊田外相がグルー在日米大使に協力を求め、グルーはこれを引き受けハル長官に向けて首脳会談を真剣に検討するよう意見具申した。続いて、政府は17日の大統領への返答を連絡会議にて決定し、28日に野村大使からルーズベルトへ渡された。
一通は先の戦争警告に対する反論で、もう一通は所謂「近衛メッセージ」と呼ばれるもので、その内容としては従来の会談のように事務的商議に拘泥せず、懸案について大局的な視点から協議し、まず両首脳が大柱で合意を結び細目は事務当局に任せればよいというようなものであった。
これを受け取ったルーズベルトは「非常に立派なものである」と賞賛しながら、「三日間位会談したい」とも述べ、野村大使も安堵したが、ただ疑念がないわけでもなかった。
それは大統領に期日の明言を避け続けたことや同席していたハル長官が「会談は事前にまとまった話を確認する場にしたい」と主張していたことであった。つまり事前会談を示唆しているのである。
さて、日本側は空母へ改装予定であった新田丸を用意し、通信機材等の積み込みを行いつつ、人選を進めていた。
首席随員に重光葵、天羽外務次官を事務総長とし、陸軍からは首席随員に土肥原大将、陸軍省より武藤軍務局長、石井軍務課高級課員、参謀本部から塚田次長、有末第20班長(*2)が、海軍からは首席随員に吉田善吾大将、海軍省から岡軍務局長、藤井軍務第二課員(*2)、軍令部から伊東次長、福留第一部長らが予定されていた。
そして、近衛首相が用意した腹案についてであるが、出発前に帰国していた井川と相談しながら考えた案件はどうにも歯切れの悪いもので、従来の日本側の主張と大差ないものだったようである。
妨害工作を恐れてそういう内容にしておいて現地で思い切った提案をする気だったのか、それともそれをそのままルーズベルトにぶつける気であったのかは不明である。
してその内容としては仏印からの撤兵は支那事変解決後速やかに行うことや、蘭印の主権尊重の共同声明を出すこと、米国の蒋政権への援助中止、支那からは一部を残して撤兵すること等であった。
(*1)大西洋会談では戦後の構想を打ち上げた大西洋憲章の発表と共に、対日政策の協議が行われたのである。ここで対日戦争警告について米・英・豪・蘭が同時に日本に対して警告文を送ることで合意した。
(*2)第20班は昭和15年10月に参謀次長直属で設置された「大本営戦争指導班」。
(*3)海軍省軍務局第二課は出師準備担当。