我が国が対米戦の宿命に追われ、出師準備を開始した頃、米英もまた、軍事会談を開き、今後の対日対独伊政策の協議を行った。
これは枢軸側が地理的に隔絶して、同盟を結んでいるにも関わらず積極的な作戦提携はおろか会談さえ満足に行えなかったのと比べると対照的である。
日独間の軍事協定は開戦後の昭和17年に入ってからであり、それでも具体的な共同作戦などはなく、担当区域を決めたり情報交換を定めた程度に留まった。
実際日独の連絡はシベリア鉄道経由での外交官の往来や潜水艦による往来が精一杯であった。
さて、米国が参戦する半年前の昭和16年春までに米英間では次のような取り決めが進行中であったとされる。
1.科学情報の相互交換が昭和15年9月よりテイザード使節団により開始
2.軍事情報の共有
3.FBIと英国保安機関の協力開始
4.米軍人と技術系民間人が米国が英国に貸与する兵器の成績をテストする為、情報交換を開始
5.米国大西洋艦隊の強化
6.米軍によるグリーンランド、アイスランド、アゾレフ、マルチニック島占領計画が立てられる
(実際我が国の南部仏印進駐前に米国はアイスランドに進駐し基地化を始めている。)
7.損害を受けた英国艦船の米国での修理
8.米国内で英空軍のパイロットの訓練養成の開始
9.最初の英米参謀会議が米国参戦の場合の統合的総括的戦略の作成を目的として実施されていた
国際的な拘束や米国内の孤立主義があったにも関わらず米国が積極的に動いたのはルーズベルトが大戦景気を狙ったこと、或いは戦後の米主導イニシアチブを獲得せんとしたという説がある。
さて、上記9番目の参謀会議についてであるが、昭和16年1月末より米国軍令部と参謀本部を代表とする米国参謀委員会と英国統帥部を代表する英国代表団との間で計14回にわたる会談がワシントンに於いて行われた。
これはフランス戦線がドイツ軍によりあっけなく突破され焦った英国側が米側に熱望して実現したものである。
ここでは作戦計画「ABC-1」及び「ABC-2」が報告され、これを踏まえて「レインボー5号作戦計画」が策定されるに至った。
本計画は米英での事実上の承認を受けてこれをもとに枢軸側に対する綿密な作戦協定の制定に乗り出した。
特に我が国に対する基本戦略の骨子は、
1) 日本が参戦した場合極東における軍事戦略は防勢をとる。 2) 米国は極東に対し現在以上に軍事力を増強する意向はない。 3) 英国の極東における地位、なかんずくその象徴たるシンガポールは「英連邦の結合と安全並びにその戦争努力の保持を確保する」見地において、防衛を強化しなければならないが、それは英連邦の自力によるものとし、米国はそのかわり大西洋及び地中海方面に兵力を増強する。 4) 但し日本の南進作戦を牽制するため、米国太平洋艦隊を機宜攻勢的に使用する。
以上から読みとれることは米国の基本戦略としてはまず欧州戦線を優先すること、太平洋方面においては当面防衛戦のみ行うことである。
さらにこれに付随して、海軍基本戦争計画「WPL-46」を米国海軍省は発令した。
これによると米海軍は太平洋、極東地区、東大西洋、西地中海における海上交通線破壊や我が国の委任統治領であったマーシャル及びカロリン諸島の占領等を計画していた。
これら計画は比島の戦略的重要性の見直しからマッカーサー将軍が米極東軍司令官として就任し、比島防衛を本気で行うよう改めた他はほとんど変更なく開戦を迎えることとなったのであるから、重要である。
参謀会議の意義として米海軍のスターク作戦部長が残した手紙にこう記されている。
「英国との参謀会談は終わり、合同米英戦争計画は作成された。この報告はマーシャル将軍と私によって承認された。そして適当な時に大統領の承認を得ると期待される」
「我々の参戦についての問題は、今や when であって whether ではないようだ。(・・以下略)」
これは明らかに米国が戦争を企図していたことを示すものではなかろうか。