4−5.日本経済の実態
支那事変が一向に片づく様相をみせず、国内は必然的に統制経済に移行せざるを得なかった。
昭和13年度以降は政府が会計年度と同じ年度毎に原料物資の需給計画を策定した。
これを物資動員計画と呼称し戦時経済の要請に基づき需給の統制を行っていた。
陸軍が米英依存経済を脱却することを目的に策定した重要産業拡充計画も支那事変を行いながらの国力拡充は極めて困難であった。それでも鉄、石炭、電力、工業塩については日・満・支の円ブロック内にてなんとか自給自足の目途が立つに至った。
しかし希少金属や非鉄金属類の不足はどうしようもなく、マンガンやタングステン等若干のみ生産可能な程度で、他は製錬施設はあれども原材料の産出がなく輸入に頼る他なかったのである。
希少金属は有事回収、節約、代用で細々ながら持ちこたえることは出来るものの、大部分は備蓄以外絶望的な状態であった。
また、先述の通り最も致命的なのは石油であった。
日本における原油生産量は40万d以下であり、円ブロック内においても石油資源の産出見込みはなかった。(*1)
当時の石油需要は約500万dであったが、その1割さえも自給することはできなかった。
そこで国をあげて代替エネルギー、特に人造石油の生産に力を入れていたが、軍需優先の為開発資源が集まらず難航し、試験的な規模での生産こそ始まったものの本格生産への道のりは遠かったのである。
需要の大部分を米英ブロック圏からの輸入に依存せざるを得ないのであるが、その輸入の際に必要な外貨は生糸や綿製品の輸出で得たもので、その輸出先は米英やインド、オランダ等であるが同時にそれらの資源の輸入先でもあり、まさに米英依存経済であったことが言える。
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