4−4.日蘭経済交渉の挫折

米英は日本の進出を止めるのには石油を枯渇させることが最善であると判断し、石油を中心とした経済制裁措置を国際的に進めようと画策した。
すなわち米国はまず米系大手石油会社のスタンダード石油に対し日本の石油調達を妨害するよう要請し、日本が蘭領インドネシアからの石油買い付けを阻止するために、マニラで米・英・蘭の三国会議を開き、今後の姿勢を協議した。
そこでは、


 (1)米英両国は蘭印に対日石油交渉を遷延させ、かつ契約の量と期間を制限させること。
 (2)蘭印は日本軍進入の際は全ての石油ストックと精油所を破壊すること。

などを取り決めた。
蘭印が米英に協調していった理由として、同地での石油事業において米国系資本26%、英国系資本は実に74%を握っていたためと考えられる。
つまり同地における石油事業の実権は米英が握っていたわけである。


さて、こうした米英の思惑をよそに我が国は芳沢謙吉元外交官が特派使節に任命され、昭和16年1月より蘭との交渉に入ったが、先に米英蘭で示し合わせた通り、会談は単なる引き延ばし工作に過ぎず、いたずらに時間のみを空費する結果となった。
しかもその時の蘭印側の交渉態度がすこぶる横柄であり、我が国を侮辱する以外なにものでもなかったので、日本政府や軍中央部内には実力による解決以外の方策はないと考えるようになったのである。
かくして、同年6月中旬にはこの交渉は打ち切られることとなる。

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