4−2.対日輸出制限
先に述べた通り、我が国は資源の大部分を外国、とりわけ米国に頼っており、これを危惧する声が軍部のみならず外務当局からも叫ばれるようになった。
外務省が昭和15年3月に作成した覚書には
「日本が早急にとるべき方策は、現在の如き極端な米国依存を排し、米国の態度によつて脅かされないやうな経済機構の確率である。このやうな機構を確率すること自体が、米国の再考を促すのに大いに役立つことは疑ふ余地がない」
と自存自衛への道の模索を強く主張している。
こうした背景には米国の対日貿易制限が深く関わっている。
まず、同年6月15日にルーズベルト大統領はシェパード法と呼ばれる「国防強化促進法」を制定し、大統領に国防上の必要に基づく貿易統制の権限を与えた上で、軍需資材輸出許可制を布いて、各種工業原料が制限下に置かれた。
翌月25日に発表された時点では石油と屑鉄は制限から外されていたが、半月後には同様に制限下に置かれ、我が国は正式抗議を行うも黙殺された。
この中で特に我が国がショックを受けたのはなんといっても石油の供給がおぼつかなくなったことである。
現在でもそうであるが、石油がなければ近代国家としての機能の大部分を停止させられてしまうし、中でも海軍は石油がなければ全く動くことが出来ず、国策決定に於いて陸軍が北進を主張するのに対し海軍が南進を主張したのはこうした事情からである。
実際に昭和15年5月に2度に分けて海軍軍令部主催の大規模な対米持久作戦に関する図上演習が実施され、当時の石油備蓄を約600万dとして打ち出した結果は、
「米英の全面禁輸を受けた場合、4〜5ヶ月以内に南方武力行使を行わなければ、主として液体燃料の関係上戦争遂行が出来なくなる」であり、これは爾後の海軍の定論となったのは言うまでもない。
さて米国があてに出来ぬ以上、新しい供給元として、地理的にも近接している油田・鉱物資源地帯である蘭領インドネシアに注目することになり、政府は日蘭経済交渉の為の準備を急いだ。
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