3−3.日米対立へ

事変当初は日米共に事変を理由とした外交関係の悪化は望んでいなかったのは先述の通りである。
しかし、支那側の徹底抗戦の構えにより次第に米国や他の列国の在支権益に被害が及ぶようになると当然我が国との対立が発生するようになった。

まず、先のパネー号事件である。
我が軍の誤爆により米砲艦パネー号とそれに続いていた油槽船2隻が沈没大破したのであるが、南京での戦闘激化によりあらかじめ日本は米船に退去勧告を行っているにも関わらず強引に航行し、しかもその積載せるガソリンは支那軍基地へ送るものであり、明らかに我が軍に対する挑発行為であった。
それでも米国との関係悪化を望まぬ日本政府は直ちに遺憾の意を表明し賠償をも行うことを発表したので、米側も納得し、大事には至らなかったが、これは後の日米(英)の権益を巡る軋轢の伏線とも言える。

相次ぐ在支権益の損害に対し、遂に米国は門戸開放・機会均等主義を理由に日本に対し長文の非難文を送りつけてきた。
日本としては世界列国がそれぞれの経済圏ブロックを形成しており高い経済障壁でもって保護してる現在を見ると、日本としても最低限の経済圏は保持せねばならない。
その為の日・満・支の経済ブロック、所謂東亜新秩序である。
これを建設するには無条件に米国の門戸開放主義を受け入れることは出来ないというのが事実であった。

結果日本は米国の門戸開放主義を公式に否定するに至ったのである。

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