10−2.ハル・ノート

日本本国政府がハル・ノートの前文を受け取ったのは11月27日で交渉期限が目の前に迫っている時期であった。これを見たときの東郷外相は「目も暗むばかり失望に撃たれた」と述べている。さて、その内容は従来の米側要求に見られなかった程法外な要求が示されており、誰もがこれは最後通牒であると受け取ったのも無理からぬことである。

まずオーラル・ステートメントでは乙案を「法と正義に基づく平和確保に寄与せず」と正式に拒絶し、本体の部分は「極秘・試案にして拘束力なし」と書かれ「合衆国及び日本国間協定の基礎概略」と題し、2項から成る文書であった。1項はハル四原則を繰り返したものであったが、問題となるのは第2 項である。

(1) 米国政府及び日本国政府は英蘭支ソ泰及び米国の間にと共に多辺的不可侵条約を締結する。
(2) 両国政府は米英支日蘭及び泰政府間に仏印の領土主権尊重に関する協定を締結する。
(3) 日本は支那及び仏印より一切の陸海空軍兵力及び警察力を撤退させる。
(4) 日米両国は中華民国政府(*1)以外の如何なる政権をも軍事的、政治的、経済的に支援しない。
(5) 日米両国は外国租界及び居留地内およびこれに関連せる諸権益をも含む支那にある一切の治外法権を放棄するものとす。両国政府は外国租界及び居留地に於ける諸権利に、1901年義和団事件議定書による諸権利を含む中国に於ける治外法権放棄につき英国政府および其の他の政府の同意を取り付けるべく努力する。
(6) 日米両国は互恵的最恵国待遇及び通商障壁引き下げを基本とする新通商条約締結の交渉に入る。
(7) 日米両国は相互に資産凍結令を廃止する。
(8) 円ドル為替安定につき協議する。
(9) 両国政府が第三国と結んだ如何なる協定も本協定の目的即ち太平洋全地域の平和と矛盾するが如く解釈されてはならない。
(10) 両国政府は他の諸政府をして本協定に定められある基本的な政治的及び経済的諸原則を遵守し且つ之を実際に適用せしむる為其の影響力を行使するものとす。


今までの交渉を根底から覆す内容に閣僚は激昂した。開国以来営々と大陸に於いて築き上げてきた全てを、それまでの日本の対外政策を全否定する内容であった。東郷外相の口供書に当時ハル・ノートを受諾した時のことを述べている。
「米国は従来の交渉経緯と一致点を全て無視し、最後通牒を突きつけてきたのだ。我々は米側は明らかに平和解決への望みも意思も持っていないと感じた。蓋しハル・ノートは平和の代価として日本が米国の立場に全面降伏することを要求するものであることは我々に明らかであり、米側にも明らかであったに違いないからだ。日本は今や長年の犠牲の結果を全て放棄するばかりか、極東の大国たる国際的地位を棄てることを求められたのである。之は国家的自殺に等しく、この挑戦に対抗し、自らを護る唯一の残された途は戦争であった。」

ハル・ノートを受電したとき、我が帝国海軍機動部隊は千島列島の単冠湾より発進しており、交渉が妥結すれば直ちに引き返すという約束であったが、ハル・ノートにより完全に機動部隊が引き返すきっかけは失われ、翌12月1日に、開戦の廟議、御前会議が開かれ、我が国は国策案に基づき、対米戦を決定したのであった。そして機動部隊に対し「ニイタカヤマノボレ1208」が打電されたのである。

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