1−3.米国における日本人排斥運動の展開

もともとの土地の狭さと低い生活水準のために日本は深刻な人口問題を抱えており、政府としては移民を奨励していた。これにより日本人は朝鮮や満州へ渡り、また南米ブラジルやハワイなどへ移民していった。
もちろん米国も重要な移民先の一つである。


主に西海岸カリフォルニア州へ渡った日本人が多いわけであるが、この州では増加する日本人移民に対し1913年には「排日土地法」を制定し、土地所有を禁止したり借地期限も制限された。
さらには全亜細亜からの移民を排除する
「米国移民法」が可決されたが、日本はこれに猛抗議を行い、日本を入国禁止された亜細亜地域から除外させることに成功したが、それでも米国民は投石・放火、略奪、或いは過酷な重労働や不当に安い賃金をもって日本人を排斥し続けた。
米国民がなぜにそうまでして日本人や亜細亜人移民を排斥したか、これは一番に人種差別意識がある。
兎も角これは日本人に反日感情を芽生えさせるに十分すぎるものであった。



さらに激化する排日運動を解消させるために日本政府も度重なる会談や抗議を行った。
特に「排日移民法」に対しては日米通商航海条約に反することや人種差別であること、日米世論において互いの親善関係に深刻な影響を与えることなどを主張したが、遂に1924年5月に米議会で可決されるに至り、1907年に日米で締結した紳士協定以来の努力が水泡となった。



これに対し日本世論もまた各新聞社が米国の侮辱的かつ不正な行為に対し激しく糾弾した。
国民もまた激昂し、全国各地で反米国民大会が開かれ、警察や陸軍省、さらには内閣閣僚へ過激な投書が送付されるようになったのである。

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