序章 はじめに
戦後60年を過ぎようとしている現在、未だに日本人の多くはGHQ統治時代の方策をそのまま継承している。
ことに平和に対する考え方は異常なまでの偏見や錯誤に充たされ、国内外に波紋を呼んでいると言える。
さて、自分がここで大東亜戦争について書くのは、国内に広く蔓延する東京裁判史観に基づく侵略戦争説の打破にある。
およそ大東亜戦争肯定論に立つ人は自存自衛論に、翻って東京裁判史観に立つ者は侵略戦争論に行き着いていると小生は愚考するものであるが、国内では圧倒的に後者が多い。
これらの人々は、自国の歴史に対する冒涜を平気で行い、且つ又先人達の苦難や精神ををなんら反映しておらず言語道断の国賊であると信じる。
また最近では米国内でもルーズベルト大統領は裏口参戦の為に日本を挑発して戦争を起こさせたのではないかとする、「ルーズベルト陰謀説」(修正主義)を述べる研究者や著作が見られるようになったのは戦後50年にして今まで「日本人は狡猾な民族である」というような日本悪玉論と共に米国の正義というものを絶対としてきた米国世論に変化が現れた証拠であり喜ばしいものではあるが、それでも「反修正主義」を採る者も依然として多いのが実体である。
先述のように我が国内においては未だ東京裁判史観、所謂自虐史観が蔓延しており、ただただ頭を下げるのみで、先の大戦に対する正当な評価は勿論、正当な反省もないままであり、何ら歴史に学ぶところがないのを大いに憂い、ここに自分は日本国民としての視点より、大東亜戦争の開戦の経緯を探り、先人がどのような局面に立たされていたのかを学び、現代の外交政策を読むのに役立てたいと考える次第である。
本稿では特に日米の外交史並びに日米交渉における我が政府の動きを中心に追うことにしたい。
最初に、先の大戦については大東亜戦争と呼称することを断っておく。
これは大東亜戦争という呼称が、昭和16年12月10日に政府大本営連絡会議にて正式決定したからである。大東亜戦争という呼称は戦中より海軍の一部将校が「大陸的・陸軍的であり、今時の戦争は海軍主体であるので太平洋戦争と呼称すべき」と主張していた事実もあるが、概ね現在太平洋戦争という呼称は戦後民主主義・東京裁判史観に基づく歴史観と見られている為これを避けるものである。
また、最近「アジア太平洋戦争」という呼称をすべきと主張する輩もいるが、これはこの戦争の本質を全く捉えておらずただ単に地理的概念のみを汲み取ったいい加減なものであると断ずる。
また中国のことを支那と呼称するものとする。
中国と中共、国民党は全く別と考えてしかるべきで歴史を正当に認識する為にも支那の呼称が妥当であると判断するものである。
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