7-4.帝国ホテルでの密談
27日、帝国ホテル玄関応接室で電灯もつけずに3人の軍人が密談をした。
一人は石原作戦課長、一人は満井佐吉中佐、残る一人はあの三月事件、十月事件の立案者である橋本欣五郎大佐である。
橋本はこの時野戦重砲第二連隊の連隊長であった。
26日の朝5時ごろ事件発生の報を受けて、直ちに旅団長に上京の許可を貰い、この帝国ホテルにやってきたのだ。
密談の内容はもちろん事態収拾の方策についてである。
そして
『陛下に石原が直接上奏して叛乱軍将兵の大赦を請願し、その条件の下に叛乱軍を降参せしめ、その上で軍の力で適当な革新政権を樹立し収拾する』
という結論に至った。
後継内閣については議論が分かれた。
石原が皇族の東久邇宮を推し、橋本は建川美次中将、満井は真崎を・・・とまったく意見がかみ合わず、どれも成功の見込みは薄いと悟って、妥協案として橋本が山下英輔海軍大将を推し、「まぁそれでいいだろうと」他の二人も納得した。
そこで山下への工作を行うとともに叛乱軍の村中を呼びつけ撤退を勧告し、村中はこれを了承して帰った。
しかし村中が帰って同志らに「皇軍相撃ちはとにかくいけない」云々の説得をするが、磯部らが大反対。
「皇軍相撃ちがなんだ。同士討ちは革命の原則じゃないのか」
などと激しく反論し、この案は蹴られた。
一方、石原も憲兵隊司令部に帰り、協議の内容を杉山参謀次長に報告したが
「陛下に陸軍よりかくの如き事項を要望書に奏上するは断じて不可なり」
と一蹴。こちらもダメだった。
まぁ当然である。陛下の心中と正反対のことを、事件の当事者である陸軍からお願いしては陸軍の不信は勿論のこと、陛下自ら近衛師団を率いて鎮圧に赴かれてしまう。そうなったら面目丸つぶれである。
こんな奏上できるはずもない。
結局この密談は何の成果ももたらさなかった。
省部への反応は真崎は問題外だから、山本英輔大将首班の内閣はどうだろうかというような問題提起に過ぎなかった。
そして遂に宮中にて戒厳令施行の枢密院がひらかれた。叛乱軍の命運はここに決したと言える・・・・。