7.事態経過T

7-1.警備司令部の方針

26日夜10時25分東京警備司令部は「戦時警備に関する告諭」を官民両方に対し発した。

これを簡単に述べると、

「第一師団に戦時警備を命じられたので本職(香椎中将)は大命により軍隊の一部を出動させた。これは帝都の治安維持が目的なので、みんな落ち着いてほしい」

というような趣旨の声明だった。

さらに、この声明の数時間前には師団戦時警備命令と称したものが2度に分けて軍内に出ていた。
文面は次のようなものだった。
師戦警第一号
歩兵第三連隊長は本朝より行動しある部隊を併せ指揮し担任警備地区を整備し、治安維持に任ずべし。
但し歩一の部隊は適時歩三の部隊と交代すべし。


師戦警第二号
歩兵第一連隊長は朝来行動しある部下部隊及歩兵第三連隊、野重砲七の部隊を指揮し、概ね桜田門、日比谷公園西北側角、議事堂、虎ノ門、溜池、赤坂見附、平河町、麹町四丁目、半蔵門を連ぬる線内の警備に任じ、歩兵第三連隊長は其他の担任警備地区の警備に任ずべし。
この二つの命令と告諭に軍内部の人々は仰天した。
なにしろ叛乱部隊が占拠している地区を、警備司令部とともに一括して警備の任にあたらせるものだったからである。

どうもこの命令は香椎中将が荒木軍事参議官あたりに入れ知恵された感もあるが、ともかくこの命令によって蹶起部隊は一時的にとは言え、賊軍(叛乱軍)ではなく官軍になったのである。
省部の人間は憤慨、されど今講じる手だてはない。

1日分の食料しか持たない蹶起部隊は官軍として原隊から運ばれた食料にありつくことができた。

ここまでは蹶起部隊にとって事態の進行はまことにもって順調だった。
蹶起将校の中には気をよくして歩一連隊長に対し、全面的に指揮下に入らず独自の権限を求めるという自信ぶりを示したりしていたくらいだ。


が、省部(統制派)の人間がこのまま黙っているハズがない。
そう、戒厳令を境に情況は一変するのである・・・・。

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