6. 陸軍大臣告示
6-1.対処にあたる者は
9時30分に川島陸相は陛下に拝謁し、状況報告に蹶起趣意書の朗読をし、陛下は速やかに鎮圧する方法を講じるよう命じた。
前後して宮中には軍事参議官の全員が集まってきていた。
ここで軍事参議院(官)について述べておく。
軍事参議院(会議)は天皇の諮問機関であり、それを構成する軍事参議官は現役の大将・中将が任命され、また別に毎年改変される軍の動員計画によって軍務が定められている。
つまり平時はそれぞれの役職(師団長等)に就いている。
そして天皇からの諮問があれば軍事参議官会議を開き、天皇に奉答する。
ちなみに会議の幹事は軍務局長が務めることとなっている。
軍事参議官の権限は天皇の諮問に答えるのみである、したがって彼らが独自に事態の収拾を図るのはおかしい。
この権限については昭和5年のロンドン軍縮会議の際に問題となったこともある。
杉山参謀次長は宮中で川島陸相に
「軍事参議官は陛下の御諮問ありてはじめて御奉答申し上ぐべき性質のものなるに、いろいろ干渉せられては困る。事態の収拾は責任者たる三長官において処断すべきものなり」
と言い、川島の了解を得ている。
これはどういうことか。
三長官とは「陸軍大臣」「参謀総長」「教育総監」である。
参謀総長の閑院宮載仁元帥は病気で小田原の別荘にあり、渡辺教育総監は殺害されている、残る川島陸相が迷い、自己決断力を失った現在、誰が軍の代表となるべきか。
そこに杉山参謀次長の存在があるわけである。
単純に言えば石原・武藤らの省部=統制派、荒木・真崎らの参議官=皇道派ともとれるわけで、ここにも両派の対立の様相がうかがえる。
後で詳しく述べるが軍事参議官会議では叛乱軍に同調とまでは行かないまでもそれに近い態度を示していた。
それに引き替え参謀本部は最初から断固鎮圧の方針を堅持していた。
その理由は、なによりも叛乱軍が統帥を乱したからである。
憲法に定める統帥大権による統帥権の独立は今まで政党に対しても政府に対しても頑としてその立場を守ってきたのに、よりによって内部から破壊が行われたとあっては面目丸つぶれである。
これが杉山参謀次長の言う「事態の収拾」である。
そして事件解決は先に述べたように次長を頭とする参謀本部によって行うというものであった。
軍事参議官はいらないと暗に言っているのである。
さらにこれに統制派の思惑があったことも忘れてはならない。
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