4-4.渡辺錠太郎陸軍教育総監私邸襲撃

高橋少尉・安田少尉は斉藤邸襲撃の後、坂井らと分かれ、軽機4、小銃10、拳銃若干を持って、下士官・兵30名余りを引き連れ、赤坂離宮前で、野戦重砲兵第七連隊の田中勝中尉手配の軍用トラックに乗り込み、一路渡辺邸に向かった。

6時ごろ到着し、間髪入れず玄関に機銃を乱射した。

すると中から警備に当たっていた憲兵2名が拳銃で応戦、仕方なく裏口へ回り込み屋内に侵入した。

その際夫人は
「軍人としてあまりに乱暴ではないか」
と身を挺して制止したが、蹶起部隊は構わず乱射、庭には機銃が据えられ、これまた猛射。

渡辺大将は拳銃で高橋・安田らに応戦したが、全身数十ヶ所に銃創・切創を受け死亡した。

6時30分、襲撃隊は陸軍省方面へと引き上げていき、先に分かれた坂井隊と合流した。

ここで渡辺大将について述べておく。
彼は月給の大半を本代にあてていた学者肌で、軍に対し独自の論理を持っていた。その考えは非常に進歩的でまさに正統派と言っていいだろう。

彼は軍の権限を侵すような外からの干渉は一切拒絶する、そして軍も他の国政機関の持つ権限には干渉しない。そして軍備は国家予算によって賄われるので、陸相を通じて軍の意見を入れて、政府と協力の上、政府の決定しt予算枠内で軍備を整えなければならない。軍の要求を強引に通すことは日本の政治体制の崩壊につながる・・・・と考えていた。

そして、最近の下克上よろしく青年将校の行動は軍秩序の破壊に他ならないとしていた。
さらに天皇機関説排撃運動にも疑問を持ちかけ、
「国体明徴などとあまり騒ぐのはよくない。これをつきすすめると、南北朝の正閏問題にまで遡ってしまう」
と、当時にすれば大胆な発言をして、青年将校等の憤激を買った。

また、彼ら青年将校の拠り所である真崎大将を蹴落として教育総監に就任したと見られ、これらが渡辺大将が襲撃される要因であった。

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