3-2.統制派の思惑
統制派はただやみくもに行動に走ろうとする皇道派の利用法を心得ていた。
当時対米戦に備えるための海軍力増強が優先され、対ソ軍備充実が遅れていた。
統制派も中国大陸に陸軍を増強し、速やかに占領地域の拡大を図ろうと欲っしていたことに変わりはなく、国力をあげて戦争に集中する総力戦体制の確立を熱望していた。
彼らはその契機として皇道派を利用することを企てた。
片倉少佐は1934年1月、早くも策を用意していた。
「政治的非常事変勃発に処する対策要綱」
すなわち、「軍部自らは非合法手段たる直接行為は行使せず」、右翼又は青年将校が「政治的非常事件」(クーデター)を起こしたならば、それを利用して軍部の手で国家改造を行うことが構想されたのである。
その要をなすのは「異変の渦中に一部の軍隊参加する場合」に「速やかに戒厳令を令す」ということである。
戒厳令の下で、事態収拾に名をかりて総力戦体制を作り上げようというのである。
皇道派青年将校らは時自分たちが行動を起こせば、戒厳令の下で、荒木・真崎らが国家改造に当たってくれると言う幻想のもとに、行動計画を練っていた。
その猪突猛進型の行動が統制派のつけいるスキであった。
3−3へ