3-1.皇道派の構想
皇道派が「陸軍全体を維新的に結成一体化し、軍を維新の中核に向かって推進する」ということは既に述べてきたが、彼らはどんな国家を造ろうとしてたのか。
それは
「各種の国家問題、社会事象を捕捉し、是を維新的に解決し、国内情勢を促進し、維新発程即ち大号令の渙発を容易ならしむ」
というもので、つまり天皇親政の名のもとに、国家改造を強行するということ。
その方法としては
「武力行使は国体反逆行為を討滅し、大義名分を樹立するを要すべき場合に断行することあるを予期し、平素は武力的迫力によって情勢を誘導推進す」
と、テロ・クーデターを堂々と公言していた。
この構想の拠り所となったのは北一輝の『日本改造法案大綱』(1919年刊)である。
北は日本社会が諸矛盾に悩まされているのは、財閥・政党・軍閥・官僚、とくに元老重臣が私利私欲を肥やしているためで、これらの矛盾を解決し、日本を世界に冠たる強国にしようとすればこれら諸勢力を粉砕し、一君万民の境地を実現するほかないという。
それは天皇親政、私有財産の制限、軍による社会生活の隅々に渡るまでの統制を特質とする社会である。
軍による統制は、国家改造内閣に直属した在郷軍人団会議によってなされ、
「秩序を維持するとともに、各地方の私有財産限度超過者を調査し、その徴収にあたらしめる」
という。
これは北みずから書いているようにロシア社会主義革命で生青年将校まれた労農兵ソビエトの形態だけを真似た、軍部独裁体制の構想であった。
皇道派らは、北とその門下生で予備役騎兵中尉の西田税を思想的指導者としてあおいでた。
このことと関連して、皇道派はあいつぐ恐慌のあと農民が極めて悲惨な生活をおくっていることに強い関心を払っていた。
といっても彼らはあくまで「志士」であり、農民に代わって行動するエリートに過ぎず、農民の悲惨さは彼らのクーデターを合理化する口実に使われるに過ぎなかったという意見もある。。
むしろ、2・26事件の指導者の一人である香田清貞が事件後の憲兵隊の取り調べで述べたように
「共産主義を信奉した兵が年々2,3人入隊する」
といういわゆる『赤化』の危険を防ぐために農村の救済を主張した面が強い。
このように、皇道派の思想は観念的で、具体性が無く、的確な情勢判断をもとにした実現可能な行動方針を持つことが出来ないと言う特徴をもっていた。
これは一つには日本の軍国主義思想が、建前を重んじたという伝統に原因に因るが、それよりむしろ青年将校のファシズム運動が、民衆の上にあぐらをかく特権的集団の中の、閉鎖的運動に過ぎず、民衆の中のどんな運動とも結びつかなかったためである。