2-2.士官学校事件

十一月、皇道派の村中孝次大尉・磯部浅一大尉らが突如として検挙された。
理由は、第六十六臨時議会(昭和9年11月28日〜12月9日)の開会中に村中・磯部らが首謀者となり、西田税ら民間右翼も加え、元老・重臣及び警視庁を襲いクーデターを決行しようとした容疑である。

検挙に当たったのが統制派の主要メンバーであったため、争議となった。
統制派の辻政信大尉が士官学校教官として赴任し、佐藤勝郎士官候補生から村中らのクーデター計画についての情報を得たのが事の発端であった。


情報によれば、村中らはクーデターの主力部隊として士官学校生徒を動員しようと、着々と工作を進めてるとされた。
辻はこの情報をやはり統制派で参謀本部の片倉衷少佐に伝え、村中らが検挙されたのである。


軍法会議では昭和十年三月末にクーデターを計画する旨の談合はあったが、実行する企図があったかどうかは証拠不十分であるとして不起訴となった。
しかし陸軍省は、村中・磯部ら3名に停職という慣例をはるかに越えた重い処分を科した。

皇道派は自分らを一掃するために、辻・片倉らが企てたデッチ上げだとし、統制派は皇道派の柳川平助第一師団長が圧力をかけ、軍法会議を打ち切らせたもので、クーデターを助長し軍紀を乱すものと非難した。

村中・磯部が、軍法会議での発言を昭和十年五月に『粛軍に関する意見書』と題するパンフレットにして各方面に配布すると今度は解職処分の追い打ちを受けた。
これへの恨みを加え二人は統制派に対して激しい敵愾心を燃やすようになった。


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