憲法は言うまでもなく近代国家における基礎をなす法であり、憂国を語る上でも避けては通れない問題である。
ここでは、特に初心者から中級者を対象にして、昭和憲法の制定過程をかんたんに説明していきます。
常識的なことばかりなので、知っている方は読む必要はいかもしれません(笑)
抜けている部分とかありましたら教えて下さい。
どんどん加筆していきますんで(^^;
憲法制定(改正)までを順に、列挙します。
下の表をご覧下さい。
表内のリンクをたどると、その事柄についての説明を読めるようにしてあります。(リンクのある事項のみ)
なお、下記の表並びに説明は憲法に関する事柄のみ扱うようにしていますので、予め承知下さい。
| 昭和憲法制定までのタイムチャート | ||
| 昭和20年 | 07月26日 | ポツダム宣言の発表 |
| 08月10日 | (ポツダム宣言に対する)政府の返答 | |
| 08月11日 | バーンズ回答 | |
| 08月15日 | 終戦 | |
| 10月04日 | 自由の指令 | |
| 10月11日 | マッカーサーが幣原首相に憲法改正を指示 | |
| 10月13日 | 憲法問題調査委員会を閣議了解 | |
| 10月25日 | 松本委員会発足 | |
| 昭和21年 | 02月01日 | 発表前の松本案を毎日新聞が公表する |
| 02月08日 | 松本案を司令部に提出 | |
| 02月13日 | 松本案の拒否とマッカーサー草案(司令部案)を受け取る | |
| 03月02日 | 3月2日案を提出、GHQとの調整に入る | |
| 03月06日 | 憲法改正草案大綱を発表 | |
| 06月20日 | 第九〇回議会で憲法改正案を衆議院に提出 | |
| 08月24日 | 衆議院で修正のち可決、貴族院へ送付 | |
| 08月26日 | 貴族院での審議開始 | |
| 10月06日 | 貴族院で修正のち可決、衆議院へ送付 | |
| 10月07日 | 衆議院で貴族院送付案を可決、枢密院の審議へ入る | |
| 11月03日 | 日本国憲法公布 | |
| 昭和22年 | 05月03日 | 日本国憲法施行 |
<解説を読む前に>
「明治憲法」について
昭和憲法を語る前に、明治憲法についても少し触れておくべきだろう。
とりあえず、明治憲法の制定過程はあまり関係がないので、ここでは触れずに、その特色を見ていきたい。
まず、主権は天皇に属すると規定されている。
そして天皇の地位は皇祖である神の意志に基づくものとしていた。
つまりは日本書紀に伝わる勅語に「日本は皇祖の子孫が統治すべき国であり、皇位は天壌とともに無窮に栄えるであろう」という趣旨に基づくものであった。
各国ともナショナリズムの高揚のために建国の歴史(神話)をうたうのはよくあることであり、何ら問題なかろう。
それが憲法で規定されてしかるべきものであるかが議論の的となるところである。
明治憲法は日本の近代化に大いに貢献した。
それは立憲的な諸制度が確立されたことにより、社会がより進化できたことがあげられよう。
主な特徴として、国民には権利・自由を法律により保障されているということだ。
つまり、日本国民(臣民と解してよい)の持つ権利は、天皇が臣民に恩恵として与えられたものとする臣民の権利であった。
欧米とどこが違うのかというと、欧米では人間が生来持っているとされる権利(自然権、いわゆる人権)を保障していたところである。
これが後に、日本は民主主義的でないと憲法改正をさせられる原因の一つである。
ついでに、有名な天皇機関説の問題も見ておきたい。
事件の経緯はこちらで確認していただくとして、天皇機関説とはどういう学説だったのかというと、
「国家は法的に考えると一つの法人であり、従って意志を有し、権利の主体であると」
説く、国家法人説を日本に当てはめたものであった。
この国家法人説をもう少し見てみると、
「君主・議会・裁判所は国家という法人の『機関』であるとし、国家はその機関を通して活動し、機関の行為が国家の行為と見なされる・・云々」
という説である。
天皇が主権者で統治権の総攬者であることを否定する説ではないのだが、天皇を機関と位置づけて主権をその機関意思としたために、国体の観念上問題となったのである。
あと、明治憲法の特徴と言ったらやはり統帥権の独立であろう。
そもそも軍事上の問題に、軍人でない者が横槍入れたりすると、かえって邪魔であるし、なにより専門的知識を要する上、機密の問題もある。
なので陸海軍の指揮権は内閣の外におかれ(海軍:軍令部 陸軍:参謀本部)、各々の機関の長が補弼をつとめたのである。
なにぶん、政府からまったく独立した地位にあるため、その政治的コントロールは困難を極めた。
軍部独裁と言われる所以はここにあった。
明治憲法の制度的欠点のひとつにこの点をあげる人が多い。
言うまでもなく、米英中が我が国に対して突きつけた事実上の降伏勧告と言えよう。
ちなみにソ連が加わるのはもう少し後でのことである。
| ポツダム宣言 | |
| 10項 | 「吾等は--(中略)---。日本国政府は日本国国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙(しょうがい)を除去すべし。--(後略)--。」 |
| 12項 | 前諸目的が達成せられかつ日本国国民の自由に表明せる意志に従い平和的傾向を有しかつ責任ある政府が樹立せらるるにおいては連合国の占領軍は直ちに日本国より撤収せらるべし。 |
これを見た政府関係者・軍首脳はまず国体の心配をした。
当然であろう。
なにより日本においては主権者は天皇であって、国民ではない。
現在日本は、国民主権となっているが、国民に主権者たりうる資格があるか甚だ疑問に思うこと多く、俺としては国民主権が金科玉条の如く守られねばならぬことを懐疑的に見ている。
さて、見方を変えれば、この宣言のどこにも憲法改正を明記しておらず、運用上でつまり解釈改憲によって明治憲法のまま、ポツダム宣言の趣旨に反しない政府樹立が可能であると考えられる。
つまり、少なくとも明治憲法の天皇の章は一字一句変える必要がなく、これならば国体を護持することは可能であろうと判断したのだ。
10項の解釈はそれで問題なかろうが、12条がやっかいである。
暗に国民主権を示唆しているようでもあるからだ。
だがもっと端的に見るならば、連合国軍(占領軍)は連合国の思い通りの政府ができない限り撤退はしないぞという脅しともとれる。
これに対し、日本側は8月10日に
「ポツダム宣言受諾に関する8月10日附日本国政府申入(抄)」
を返答し、ポツダム宣言発表後ソ連がその声明に加わったことを指摘し、
『天皇の国家統治の大権を変更しないこと』
を条件に受諾するとした。
これに対して、8月11日に「バーンズ回答」が通達された。
「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施のためその必要と認める措置をとる連合国最高司令官の制限の下に置かれる」(後略)
とし、ここでも日本統治を行うと明言している。
天皇大権を守るとは言ってないのだ。
占領政策による憲法改正の空気が感じ取られる文書であった。
ちなみにこの回答の「制限の下に置かれる」の英文訳で大いに紛糾したのはご存じかと思う。
英文では subject to となっており、これを外務省では「制限の下」と解釈し、軍部は「隷属する」と解釈し、モメにモメたという経緯である。
予備知識としておきたいところかな。
なお付け加えておくとこの回答の終わり際に
「日本国の最終的の政治形態は「ポツダム宣言」に遵い、日本国国民の自由に表明する意思により決定されるべきものとす」
とあるのだが、一連の占領政策の中のどこに日本国国民の意思があったのかと首を傾げたくなるところだ。
こーいう問題を追求せねばならないだろう。
まぁそれは次の機会に譲るとしよう。
日本はポツダム宣言を受諾し、大東亜戦争はここに終結した。
とは言え、日本が破れたとしても、「国体の護持」は誰もが意識していることであった。
終戦直後に組閣した東久邇宮内閣の最初の記者会見においてはこう語っている。(俗に言う「一億総懺悔論」)
「国体護持ということは理屈や感情を超越した固い、我々の信仰である。祖先伝来我々の血液の中に流れている一種の信仰である。
四辺(あたり)から来る状況や風雨によって決して動くものでないと信ずる。
現在においては先日下された詔書を奉体し、これを実践に移すことが国体を護持することである。
また一方詔書を奉体し、また外国から提出してきた条項を確実に忠実に実行することによってのみわが民族の名誉を保持し、増強する所以だと思う。
(中略)
ことここに至ったのはもちろん、政府の政策がよくなかったからでもあるが、また国民の道義のすたれたのもこの原因の一つである。
この際私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う。
全国民総懺悔することがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信ずる。」
さて、どちらにせよ新体制を樹立するにあたって、憲法改正の必要性が問われることになった。
しかし、憲法改正によって国体が破壊される危険性が多分にあるため、政治家はもちろん学者の多くも憲法改正不要論であった。
国体は何に置いても第一であるからだ。
いちおうその理論としては
「明治憲法は条文が少なく、しかも法律に大きな行動範囲を認めているから、法律の柔軟な運用によってポツダム宣言の要求に応えられる」というものであった。
実際、明治憲法では国民(臣民)の権利などは法律で定めていたので、これらの法律を改正し、ポツダム宣言に沿うような民主的な保障をすればいいというのは妥当な考え方であろう。
敗戦=日本解体というわけではないのだ。
なにしろ、日本は無条件降伏したわけではなく、ポツダム宣言に基づき、降伏したのである。
その点をよく考えねばならない。
それじゃ学術的な論議をひとつ紹介しよう。
次の文書は1964年の憲法調査会『憲法制定の経過に関する小委員会』の報告書による。
一時、天皇機関説事件で追放されかかった美濃部教授は戦後このように、憲法改正不要論を述べている。
「私はいわゆる「憲法の民主主義化」を実現するためには、形式的な憲法改正は、必ずしも絶対の必要ではなく、現在の憲法の条文の下においても、議院法、貴族院令、衆議院議員選挙法、官制、地方自治制その他の法令の改正及びその運用によりこれを実現することが十分可能であることを信ずるものである。」
また宮沢教授も同様に
「この憲法における立憲主義の実現を妨げた障害の排除ということは、わが憲法の有する弾力性ということと関連して、憲法の条項の改正を待たずとも相当な範囲において可能だということを注意することを要する。」
と述べ、憲法改正不要論者は別に、当時の権力者のみが主張したわけではないことを証明している。
GHQは占領政策の第一歩として「自由の指令」と呼ばれる命令を日本政府に押しつけてきた。
自由の指令は正式には「政治的民事的宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書」である。
これには明らかに憲法改正を示唆する条項が記されている。
それでは第一項の一部を覗いてみよう。(随所現代語仮名遣いに直しています)
| 一 | 日本国政府は政治的、民族的及び宗教的自由に対する制限並びに人種、国籍、信仰又は政見を理由とする差別待遇を撤廃するため | ||||
| (イ) | 左記の事項に関する一切の法律、勅令、省令、命令及び規則を廃止しその効力を直ちに停止せしむるものとする。 | ||||
| 一 | 天皇、皇室及帝国政府に関する自由なる討議を含む思想、宗教的集会及言論の自由に対する制限を設定又はこれを維持するもの | ||||
| 二 | 情報の募集及び頒布に対する制限を設定し又はこれを維持するもの | ||||
| 三 | 法令の条文又はその適用により人種、国籍、信仰又は政見を理由として特定の者に対し不当なる恩恵又は不利を与えるもの | ||||
| (ロ) | 四 | 上記の(イ)項に該当する放棄は左のものを含む。但し左のものに限られることなし | |||
| 一 | 治安維持法(昭和16年法律第55号、同年3月10日頃公布) | ||||
| 二 | 思想犯保護観察法(昭和11年法律第29号、同年5月29日頃公布) | ||||
| 五 | 予防拘禁手続令(司法省令第49号、昭和16年5月14日頃公布) | ||||
| 六 | 予防拘禁処遇令(司法省令第30号、昭和16年5月14日頃公布) | ||||
| 七 | 国防保安法(昭和16年法律第49号、同年3月7日頃公布) | ||||
| 九 | 弁護士指定規定(昭和16年司法省令第47号、同年5月9日頃公布) | ||||
| 十 | 軍用資源秘密保護法(昭和14年法律第25号、同年3月25日頃公布) | ||||
| 十三 | 軍機保護法(昭和12年法律第72号、同年8月17日頃公布、昭和16年法律第58号により改正) | ||||
| 十五 | 宗教団体法(昭和14年法律第77号、同年4月8日頃公布) | ||||
| 十六 | 上記の法規を修正、補足若しくは実施に関する一切の法律、勅令、省令、命令及び規則 | ||||
となっている。
もちろん、これはほんの一部である。
この指令は次の幣原首相とマッカーサーの会談の伏線となっていた。
いちおう、参考までに日本統治について簡単に。
形式的には連合国軍による占領であるが、実質的には米軍の単独占領である。
直接日本の改革を進めるのは占領政策上、適当ではないので、間接統治という形をとった。
この場合、日本政府へはポツダム勅令という形で下令された。(憲法制定後はポツダム政令)
占領の目的はただ一つ「二度とアメリカに刃向かわない國にするため」だ。
そのためには思想面からも洗脳していかねばならず、民主化を隠れ蓑にして次々と占領政策を進めていったのだ。
幣原首相はマッカーサーに表敬訪問した際、マッカーサー自らより憲法改正を迫られた。
マッカーサーが記者に話した談話が残っている。
「ポツダム宣言を履行するにあたり、日本国民が何世紀もの長きにわたって隷属してきた社会の秩序伝統を矯正する必要があろう。
日本憲法の自由主義化の問題も当然この中に含まれて来るであろう。
・・・(後略)」
ここに 日本の文化、伝統を破壊することを宣言している。
アメリカの価値観、西洋合理主義を日本に浸透させようとしているのだ。
この目論見は敵ながら見事に成功し、今日とても日本人とは思えぬ輩が噴出している。
とにかくも国体を破壊したかったらしい。
しかし、こればかりは連合軍と言えども破壊できなかった。
我が民族に連綿と受け継がれてきた尊い信仰であったからだろう。
また、マッカーサーは近衛にも憲法改正を行うよう示唆し、近衛は単独で憲法改正草案を作り、11月には天皇に奉答しているが、あまり有名ではないので伏せておこう。
先の訪問で憲法改正に着手せねばならぬことになり、内閣として国務大臣松本蒸治を中心とする憲法問題調査委員会を設置することになった。
ただし、これは閣議了解という形であり、政府もあまり乗り気でなかったことが伺われよう。
もー、しぶしぶって感じですかな。
「憲法改正の問題は組閣以来連日の閣議において論議を重ねきたりたるところなるが、事は最も重大なる国務なるが故に、政府は極めて慎重なる態度をもってこれに臨み、熟慮の末総理大臣の下松本国務大臣を主任として研究を進めることに決定したり。」
さて、松本委員会が発足し、「松本四原則」をもとに憲法改正案の作成に勤しんだ。
|
この四原則をもとに委員会が作成したのが「憲法改正要綱」である。
条文全部を書くのはとてもしんどいので、割愛するが、全体を見れば最も明治憲法に近いものであったと言えよう。
ただし、それでもポツダム宣言にある民主化のために貴族院を参議院に改め、衆議院の優越を認めたりした。
あとは、天皇の章で「天皇は神聖にして侵すべからず」を「至尊にして侵すべからず」にした。
細部も色々変更が加えられているが省略する。
公表というかスッパ抜いたと言った方が妥当であろう。
日本政府は2月8日に発表(GHQに提出)予定としていたのだが、その前の1日に毎日新聞スクープ特ダネの餌食となった。
この事件の影響はまさに甚大。
マッカーサーは即座に司令部案の作成を開始した次第である。
一つの新聞社が国家の重大な政策決定を台無しにしたのは事実。
と言うと、スクープにしなくても、GHQに手渡されれば同じ結果になり、大したことじゃないと開き直ってくるか。
否である。
例えば、これが軍事作戦だったらどうか。
「明後日、何処に終結し、攻撃する予定」
などという命令書を同様に公表されたら必勝どころか必敗であろう。
どうも公益を守るという意識に欠けてるように思えて仕方ない事件である。
無論、漏らした側にも責任があるのは言うまでもない。
このころから危機管理はなってなかったんですねぇ。
さて、話をもどして、マッカーサーは案の作成に際して、幕僚に次の3原則を盛り込むよう指示した。
これがいわゆるマッカーサー・ノート(マッカーサー三原則)である。
| 一、 | 天皇は、国の元首の地位にある。 皇位の継承は世襲である。 天皇の職務及び権能は、憲法に基づき行使され、憲法の定めるところにより、国民の基本的意思に対して責任を負う。 |
| 二、 | 国家の主権的権利としての戦争を廃棄する。 日本は、紛争解決のための手段としての戦争、および自己の安全を保持するための手段としてのそれをも、放棄する。 日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想にゆだねる。 いかなる日本の陸海空軍も決して許されないし、いかなる交戦権も日本軍には決して与えられない。 |
| 三、 | 日本の封建制度は廃止される。皇族を除いて華族の権利は現在生存する者一代以上に及ばない。華族の授与は、爾後どのような国民的または公民的な政治的権力を含むものではない。 予算の型は英国制度に倣うこと。 |
特に第2項見て下さい。
明らかに日本を無力化することを念頭においてるとわかる一文です。
なにせ日本の安全保障は理想に委ねられるんですよ。
現実に国民の安全を守らねばならぬ国家が理想でなんとかしようとは絵空事も甚だしい。
ただただその内容に呆然とさせられます。
日本側の代表団(吉田首相や松本大臣ら)もさぞ驚いたでしょうね。
2月13日 松本案の拒否とマッカーサー草案(司令部案)を受け取る
8日に日本案を受け取ったGHQだが、既にその内容は毎日新聞によって知っていたため、相手にされなかった。
というのは、その内容がほとんど明治憲法と変わってないと驚いた為である。
当時の日本人の多くが国体を擁護すると考えているのを知ってか知らずか、松本案を「全面的に受諾し難いもの」として一蹴した。
そして、スクープで日本案を知ったマッカーサーがGHQ民政局(憲法学者の一人も居ない程度)を中心にほんの1週間余りで急遽作成した「祖素司令部案」を提示し、
「これを最大限に考慮し」て日本側に新たな案を作成するよう命じた。
さて、総司令部案を見ると、
「人民主権」
「戦争の廃棄」
などを盛り込んだものであった。
ちなみに天皇を皇帝としたのはどういう狙いがあったのだろうか・・・。
反米感情をかき立てるだけだと思うが・・・。
まぁ日本を知らない人間が作った草案だから致し方ないかもしれない。
というか、知らない人間に作らせるなと言いたい。
さて、イヤな予感はしていたがやっぱり拒否された松本案をどうしようか。
日本の国情を考えて、松本案以外に道はないだろうと結論づいて、2月18日に松本案の補充説明書を提示し松本案の再度の受け入れを願った。
が、GHQはにべもなく拒否し、あまつさえ
『48時間以内に「総司令部案」にしたがって日本案を作らなければ、直接総司令部案を国民に公表するぞ』
と脅してきた。
日本側の主張など関係ない、我々が正義だという偽善者ぶりが滲み出てくる。
<資料>
日本側が提出した「憲法改正案説明補充(抄)」の一部
元来一国の法制はその独自の発達に待つ所多し他国より或制度を輸入し又は或法律を採用するときは必ずしも成功を収むるものと限らるることなし。
例えば英国の議会的民主主義(parliamentary democracy)は欧州大陸諸国に輸入せられたるも、一も英国の如き発達を為したるものなく失敗の歴史を有するもの少なからず。又米国の大統領的民主主義・・・(略)・・・。
これらの失敗と不成功は国情民情に適合せさる制度をそのままに採用せる結果に外ならず・・・(略)。
各国には各国固有の歴史に基づく国情民情あり各国法はその大原則においては一致するも少なくともその形式と実状とを異にすべく。
よってこれを同一にせんとするときはその円滑なる実行を阻害する虞あることを知るべし。・・・・(略)・・・。
(略)。
今もし上述せる方針に反しこの際憲法の条項に根本的なる又は大仕掛なる変更を加える時は保守的又は中央的の思想を有せる多数国民に強き刺激を与える結果、これをして反動的に民主主義に対する反感を抱くに至らしむる虞なしとせず。
その結果独逸「ワイマール」憲法後に起こりたるが如き過誤に陥らせることを保し難かるべし。
右の如き反動を生ずる虞なからしむる為には斬新的の改正を可とすべくこれ即ち改正案の採用したる方針なりとす。
なぜGHQが草案作成を急いだのかというと、2月26日に開催予定の「極東委員会」(連合国11カ国の代表者からなる日本占領統治の最高機関)では天皇制廃止論の空気が強く、これに考えを異とするGHQは先に自分らの考えを盛り込んだ草案を日本側に無理矢理にでも承諾させ、既成事実化してしまおうと考えたからであると言われているのだが・・・・。
こうして、GHQに小突かれながら総司令部案を基にした新たな日本案の作成を行っていった。
はっきり言って総司令部案の内容はほとんどのみこめないものであったため、日本側が作成した草案は総司令部案からどんどん離れていった。
これは仕方のないことで、とりあえずこれを3月2日案としてGHQに提出した。
今度は驚いたのはGHQの方だ。
大部分の総司令部案がそぎ落とされていたからである。
そこでこれ以上は待てないとその場で「最終案」を作るための共同研究会を開催することを強く指示した。
この研究会で、総司令部案の大部分がまたもや復活してきたが、「人民主権」や「土地及び一切の天然資源の究極的所有権」など復活しなかったものもあった。
先の共同研究会で決定した「最終案」の字句に若干の修正を加え「憲法改正草案大綱」を国民に発表した。
もちろん天皇の勅語付きというGHQらしいやり方で・・・。
マッカーサーはこの日の記者会見でこの案を全面的に支持すると声明した。
そりゃそうだろう、自分らでほとんど作ったのであるから。
ただ、日本人に作らせたというアピールをしたかっただけであろう。
さて、その後の4月17日にこの「憲法改正草案大綱」を口語体にした「憲法改正草案」が内閣で作成され、これが正式の明治憲法の改正案となった。
先立つこと4月10日には普通選挙制度による選挙が行われ、5月22日に第一次吉田内閣が組閣。
4月17日発表の草案を第90回議会に帝国憲法改正案として提出されたことに始まる。
ここで若干の修正が加えられて、可決、貴族院へ送付された。
ではその修正内容について見てみると
<前文>
「国民の総意が至高なるものであることを宣言し」
を
「主権が国民に存することを宣言し」
とした。
<9条>(*)
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」
と2項の冒頭に
「前項の目的を達するため」
を追加
<17条>
國と公共団体の損害賠償の規定を追加
<25条1項>
生存権の規定を追加
<27条>
「勤労の権利を有する」
を
「勤労の権利を有し、義務を負ふ」
とした。
<40条>
刑事補償の規定を追加
(*)第9条については別に書く予定です。
いろいろウラ話もあるのでここでは書くスペースがない(^^;
これら修正を経て、8月24日に賛成多数をもって可決し、貴族院へ送付された。
貴族院の審議は8月26日に始まって、1ヶ月ちょっとの審議を経て、10月6日に賛成多数をもって可決し、衆議院へ送付された。
衆議院は貴族院の修正に同意し、帝国議会は終了を迎えた。
そのあと草案は枢密院へと送付され、審議され、11月3日に「日本国憲法」として公布に至った。
ではその修正部分を見てみる。
<15条>
公務員選挙についての普通選挙の保障を追加
<66条>
第2項に「文民」規定を追加
■一口知識コーナー
さて、この66条の文民規定は2回ほどモメることとなる。
第一回目は野村吉三郎元海軍大将が外務大臣として入閣という話が持ち上がった時である。
野村大将といえば、大東亜戦争の宣戦布告文をアメリカに手渡した人物としても有名な視野の広い元軍人であった。
この手腕を見込んで入閣させようとしたのだが、この文民規定で野党から猛反発。
ということで入閣見送り。
次は中曽根さんが総理になるときだった。
中曽根さんは元海軍主計中佐。
文民と言えるのかということで問題になったのだ。
文民の解釈としては
1,現在職業軍人でない者
2,これまで職業軍人でなかった者
3,現在職業軍人ではない者と、これまで職業軍人でなかったもの(折衷説)
とあった。
最初1だったが、野村大将の一件で2に代わって、さらに徹底させるべきだとか声があがったんで3になった。
と、これだと中曽根さん総理になれない、ピーンチというわけで
4,職業軍人の経歴はあっても軍国主義に深く染まった人でなければよい
と、まさにご都合主義の解釈を行い、めでたく(?)入閣を果たしたというお話でした。
これは予備知識として覚えておくと面白いですよ(^^;
っと、少々脱線もしましたが解説はここまでとします。
最後までありがとう(^^;
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